難しくなってきた子供達

  • 2008/08/25(月) 08:52:53

息子を産む時は、本当に大変で
どうしても自然分娩をしたかった私は実家の近くの
評判の産院を選びました

母の知り合いが婦長であるということと
叔母が、かなり難産だったにもかかわらず、自然分娩で出産させてもらった
と聞いたからでした

ちょっとばかり、旬を過ぎてからの初産だったので
体重のことや、食べ物のこと
それはそれは気遣いました
おまけに主人の思うような協力も得られなかったので(笑)
自分なりに出来ることは精一杯して
お腹の中で大事に育てました
いつも語りかけて
一生懸命毎日歩いて・・・

出産予定日だった7月1日
当日でもまだ1cmしか子宮口が開いていない状態
その日の翌日に3回に分けて陣痛促進剤を飲みました
それでも梨のつぶて・・・
とうとう10日後に、胎盤が先に落ちる危険性があるからと
予定(出産)入院になりました
そこから丸2日間闘いです!

相変わらず2〜3cmしか開いていない子宮口
これを開かせるために、機械を装着されました
(実際どんな機械だったのか見ていないのですが・・・余裕もなかったし)
その状態で、丸1日過ごしました
もう、下腹部に激痛です
ただただ『この痛みがないと子宮口が開かないんだから!』と
自分に言い聞かせて、絶え間なく続く激痛と鈍痛に耐えながら
一晩を過ごしました
そして翌日
朝一番の先生の診察
ようやく5cmまで開きました

所が、これではまだまだ足りません
この先は風船を入れて広げましょうということに
これまた痛くて痛くて・・・
かなり我慢していたのですが、
看護婦さんが来て、内診です
『夢子さん、これ、陣痛じゃないわ・・・風船ダメだから外そう!』と言います
確かに風船なるものを取り外したら、ピタリと痛みが無くなり
ホッとしてしまったくらい
それでも、これでは生まれません
そこで今度は子宮口の筋肉を柔らかくするお薬と、陣痛促進剤の点滴です><
それはしたくないと思っていたので、少し抵抗しましたが
主人も『しかたねぇだろ、生まれないんだから!!』と・・・
選択も何もありません、点滴を受けました
その30分後、知らないうちに少量の破水があり
そのまま分娩室の分娩台の上に移動です
それが午前10時半頃だったと思います

分娩台に乗せられてから
軽い陣痛が行ったり来たり
お腹が痛いと言うよりは腰が全体的に痛くて、どこをどう擦られても
少しも助けにならなくて
そうかと思うと、全くと言うほど陣痛が遠のき
何の痛みも無くなってしまうのです
その間に隣の分娩台で後から入って来た人が20〜30分で
出産を終えて部屋を出て行きました

それでもまだ、私は台の上です

横向きになったら良いのか?
はたまた、お座り状態が良いのか?
婦長さんも色々と考えてくれましたが、結局は分娩台の上で
股関節の固い私は、両足を分娩台に縛り付けられ、
ようやく息子が頭を出せた時には、先生に吸引してもらっていました
こうして息子が生まれたのは入院翌日12日、午後5時4分でした

すっかり疲れ切って、生まれた息子の姿を見せられた時は
『・・・サルみたい・・・』と
それでも、1晩明けると、可愛くて可愛くて
本当に自分が生んだ子なのかしら?と思うほど可愛くて・・・

こうして生まれた息子がこの夏に11歳になりました
色々大変だった時期を一先ず乗り越えて、
そしてまた、新しい『大変の海』に泳ぎ出ました

母親や父親の助けが無ければ、何も出来ないのに
それでも、親にはかまって欲しくない
自分のことは自分で決めてやるんだみたいな感じでとても大人っぽくなったようにも見えますが、
親の私からは
好きなことだけ、好きなようにしているんだ
という風にしか見えません^^;

自分のことばかりでなく
他人や周りのことを考えて、行動しなくちゃいけないことを伝えたいのに
私にとってもまた、新たな闘いです(笑)
人が変わるきっかけを与えるっていうのも、
本当に難しいことですね・・・








ドラマで覚える英会話「ニューヨークライフ」DVDリスニングセット










お誕生日

  • 2008/07/15(火) 10:14:52

先週土曜日
息子が11歳の誕生日を迎えた

結婚記念日があったり、
主人の誕生日があったり
夫婦喧嘩があったり
色々ありありだけれど

悪いことばかりじゃないじゃん^^
って思わせてくれた息子の誕生日

あの喧嘩以来、主人の中にも何かが残ったようで、
少しは気に掛けて、我慢することを覚えてきたような気もチラホラ
別に長続きするとも思ってはいないけれど・・・

久しぶりに船釣りに行きたいと言うので、快く行かせてあげた
その晩、息子の誕生日

息子のリクエストにより、
私が手製のケーキを焼くことになった
もちろん下の娘も手伝った
happy birthday


飾り付けは娘が担当
プレートに書いた息子の名前は、何だか判らない(笑)
それでも楽しく、ケーキ作りは進んだ

娘は次に、プレゼントがしたいと言い出した
お小遣いを持っているはずもない娘が考えたのは
手紙を書くことだった
『お兄ちゃんに、お手紙を書きたいから、手紙を書く紙を頂戴』と娘
私は、一度も使ってない便箋のセットを娘に渡した
娘はいたく喜んで、結果4枚の手紙を書いた
しかも文字がぎっしりと詰まっていた
その手紙に、自分が使っていない消しゴムと鉛筆をセットにして
ケーキのローソクを吹き消した後
『お兄ちゃん、お誕生日おめでとう!』と言って手渡していた

照れくさいのか、さっさと『ありがとう』を言って、手紙を受け取ると
食事にがっついた息子(笑)

和やかな雰囲気の元
主人が釣ってきた魚のフライを初め、手作りの夕食会は終わった

息子は上機嫌で
『オレさ、11歳の誕生日が最高の誕生日だったと思う♪』と言った

『どうして?』と私

『だってさ、お父さん怒らなかったし、イライラしなかった。誰も嫌な気持ちしてなかったでしょ?』と息子

いつも小言を言ったり、
夕食が遅れるとイライラする主人
それがどちらも無かった・・・

どんな高価なプレゼントも
高級なバースデーケーキも無かったけれど
息子にとってこの空気が一番の贈り物だったのだと
改めて考えさせられた夜だった

翌朝、娘が息子に当てて書いた手紙を見せてもらった
そこには日ごろ喧嘩している二人とは思えないような
兄を賞賛する文章が綴られていた
『大事に取っておきなよ^^』と息子に言うと
『良い事書いてあったでしょ?(笑)』と
食べるのに夢中で手紙なんて読んでなかったと思っていたら
しっかり読んでいたのだと確認し
娘がいつの間にか気遣いの出来る子供になっていたことと
女の子の優しい部分を持ち始めていたことにも気づかされた

息子もちゃんと成長してくれてるんだな・・・

何気に目頭に熱いものが滲んだ

悪いことばかりじゃないじゃん^^;
子供達は私の子供達でもあるんだから♪♪





運動会

  • 2008/05/25(日) 06:41:53



昨日、子供達の運動会が実施された
今年は、私がママになって、5回目の運動会
義父母が孫達の運動会を見たいと遠路遥々我が家に遊びに来てくれていていたこともあって、
子供達も、そして、私もちょっと張り切ってしまった

お天気の予報では土曜日雨の確率80%
日曜日90%
・・・これじゃ、延期?

3時間おきくらいにネットの天気予報を確認していた私
土曜日中止なら、日曜日に順延
日曜日が中止なら、振り替え休業の月曜日を通り越して、
通常授業の火曜日に給食付きで実施になる予定だった

火曜日からは、私の仕事も入っている
同じ小学校に子供を持つ職場の仲間から
『夢子さん、チャレンジャーね! 運動会延期になったら、火曜日なのに、
知っててお仕事入れてたの? それとも忘れてたの?』
な〜んて言われて・・・
ちょっと嫌な気分だった

けれど、雨の確率は少しずつ減って、
昨日の運動会は、学校の機転の良さで、あらかじめ配られた前日の
『途中雨が降ってきてしまうかもしれない』バージョンプログラム
などと言うものを組み替えてくれていたので、
メインの競技はほぼ、午前中に終了
午後は、急いでこなしても大丈夫な競技が設定されていて
実にテンポの良い運動会だった

それに、子供達の元気の良さと、一生懸命さが加わって、
5回目にして初めて、閉会式で涙が出そうなくらい感動した運動会だった

どの学年を見回しても、
我が息子がそうだったように、途中演技を放棄したり
見学中にフラフラしていたり、
ちょっと『こまったちゃん』的な子供の姿はあまり目立たなかった気がする
それには先生方のフォローがあったんだろうという場面はチラホラ

当時大変だった息子、5年生になって、5,6年生合同競技
運動会の花形『組み体操』をしっかりとこなしていた
真面目で、真剣な表情で・・・
その姿は、適当にしてやれないの競技の危険さを理解していなければ出来ない
ということを物語っていた
毎朝、早い時間から登校し、
練習時間に一斉に集合し、スタートが切れるように
1人でも遅刻したらいけないんだ
と、着替えの時間を考慮しているんだと話していた息子
今更ながら、1年生、2年生の時のフラフラした態度について話してみると
照れくさそうに『ああ・・・、あの時は、俺もバカなことしてたよなぁ』と言った

ええ?!
自覚して行動していたの?!
親の私は、正直、息子は何処かに障害を抱えているのではないか?
とさえ、疑ってしまっていたというのに・・・・
深い反省と、真実を見抜いてあげられなかった思慮の無い自分に改めて反省させられた

その息子が4年生になって、用具係りとしてみんなの為に仕事をし、
今年5年生になった息子は、出発係として、スタートピストルの弾詰めをしていた
ママ年齢、もう直ぐ11歳の私
この息子にここまでママにしてもらったなと改めて実感
5年経ったら、子供の成長は凄い

こんなママだから、
2年生になった娘の姿は、どんなことがあっても微笑んで見ている事ができる

そんな事を考えさせてくれた『運動会』
ありがとう!
と伝えたい














ペットが育てる子供の心?^^

  • 2008/01/30(水) 21:20:28

家には去年の7月頃ヒナから飼ったセキセイインコが1羽居る
このインコの名前は『ぴーちゃん』
水色と黄色の混じったとても賢い子だ

実は家でインコを飼うのは2羽目
1羽目は、もちろんヒナから飼ったが
買って来た時期が悪かった、とても寒すぎて
ヒナには耐えられなかったらしい

1週間ほど経って、自ら箱の外へ飛び出し、
餌をねだる様になった頃、寒さに凍えて死んでしまった
ただ可愛いからと、準備も整わないままその子を連れてきた私たちにも責任があったと後で反省したが
その晩、一家4人、一晩中泣きはらした
以来ショックが癒されず、3年ほど『ぴーちゃん』を飼うまでに間があいた
この時、息子小1
一番に可愛がっていたので、そのショックは計り知れなかったらしい
何も手につかなくなるほど、
生活のリズムが崩れた
朝に晩に、思い出しては涙ぐんでいた
何もしてやれず、ただ時が癒してくれるのを待つだけだった

それで、今度のぴーちゃんはちゃんと暖かい時期を見計らって
準備もして、迎えた
家が狭く、敷地も狭く、
犬や猫を飼えない我が家にようやく手に触れて可愛がれる生き物が来た
前のことがあるので、子供達もぴーちゃんを大事にしている

今ではよくおしゃべりもし、
手乗り、肩乗りインコになっている

1年生になった娘はお友達を呼んでは自分に慣れているぴーちゃんを自慢した
その影響で、お友達の家ではインコを飼ってしまった
このインコ繋がりで、妹の友達宅へ兄まで遊びに行く始末
つまらないことがあった子供達もぴーちゃんをかまい
嫌な事があってはぴーちゃんをかまい
ぴーちゃんはいつも同じくピーピー遊んでくれる
優しく語り掛けると、言う事を聞くぴーちゃん
いつの間にか、子供達がぴーちゃんに語りかける口調は優しくなっている

私達、親の手助けをしてくれているぴーちゃん
子供達の優しい心を育ててくれているんだなと思う





息子と私

  • 2008/01/18(金) 00:20:25

冬休みの最後の日
息子は書初めの宿題を残していた
筆の管理が悪く、昨年使った太筆が、力づくで筆おろししたので、
根元からボキッと折れてしまったらしい
なので、新しい筆を購入することになっていた
新しい筆を下ろすところから私は見ていた

半紙を出して、
墨液を墨壷に入れて、
私が書いた見本を元に書き始めた

ヒドイ・・・
ヒド過ぎる・・・


半紙がもったいない(爆)


そこから私の特訓が始まる
半紙はとりあえず、しまう
その代わりに新聞紙の山
1文字1文字の問題点を見つける
基本の筆運びが出来ていなかった

彼の予定では2〜30分で適当に書けば終わり
と思っていたらしい
でも、私に捕まったので
1時間半
姿勢から、筆の持ち方、運び方
1度は瞑想もさせた

その結果
なかなか良い出来の作品が3枚取れた
そのうちの1枚を翌日学校へ持って行かせた

帰宅した息子、嬉しそうに
『今迄で一番良い字だな』と先生に褒められたと言う

やっただけあったね
頑張ったら、その分『良かった』が返って来るよ
こんな体験にまだ暫く付き合ってあげなくちゃいけないんだな
と、私は思った